現代テニスの父・氷の男と呼ばれる男!ビヨン・ボルグを徹底紹介します

プロテニス

こんにちは!テニスの魅力を日々お届け!Tennis Windsです。

『テニスはよく知らないけどボルグって聞いたことはある!』
『昔の名選手、少し知ってみたい』
『なんで氷の男?』

そのような方向けの記事になります。2020年現在、スウェーデン人のトップ30級の選手が輩出されていません。しかし、過去にはスウェーデン黄金時代と呼ばれる歴代3強スウェーデン人がいました。

その1人ががビヨン・ボルグです。現役時代、引退後含めて彼のことを一覧で分かる記事となっています。

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プロフィール 実績

彼のプロフィールと実績から確認いたしましょう。

ビヨン・ボルグ

生年月日1956年6月6日
身長180cm
利き腕
国籍スウェーデン🇸🇪
プレイスタイルカウンターパンチャー
実績4大大会11度優勝(全仏6回 ウィンブルドン5回)
4大大会5度準優勝(ウィンブルドン1回 全米4回)
ウィンブルドン41連勝達成
10代でツアー16回優勝
生涯でツアー64回優勝
マッチシングルス通算644勝135敗

彼の世界大会でのキャリアは9年間です。

フェデラー。ナダル、ジョコビッチのBIG3が15年以上キャリアを続けていることを考えれば、比較的短いです。全豪オープンには1度しか出場しておらず、通算の4大大会出場数はたったの27回

その内16回の決勝進出。いかにとんでもない伝説のプレイヤーであることが分かります。

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氷の男と呼ばれる理由

彼には自分と対称的なライバルが存在しました。その名は、ジョン・マッケンロー。

ボルグは冷静沈着で、淡々とプレイするスピン重視の右利きストローカー。

マッケンローは左利きボレーヤーで、悪童と呼ばれるほど試合中に激昂したり、感情を前面に出してプレイするスタイルでした。

その2人の戦いの姿は、貴族vs野獣

フェデラーvsナダルのような対称的な関係が、過去にもあったのです。

しかもボルグは、ウィンブルドン5連覇をマッケンローに勝って手に入れ、6連覇をマッケンローに破れて逃しました。

フェデラーもウィンブルドン5連覇目をナダルを下すことで手に入れ、6連覇目はナダルに負けることで逃しました。状況がそっくりなのです。

そしてこの2人の物語は、後に映画化され、タイトルは

『ボルグ/マッケンロー 氷の男炎の男

2017年にノーデリック映画祭の観客賞を受賞した作品です。

関連記事:フェデラー、ナダルの戦いの歴史を厳選!

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彼が生み出した新しい歴史

彼は後世に渡り、今のテニスプレイヤー達の、基礎的な打ち方の新しいスタイルを生み出しました。それは『トップ・スピン』ボールの概念です。

今では当たり前のように使われているトップスピンですが、当時はウッドラケットという木製のラケットでした。

その耐久性の弱さからガットを強く張れないため、フラットかスライスを主流に打ち、ネットに詰めて決める。

サーブゲームは、ほとんどサーブアンドボレーを行う、が普通でした。

しかし、彼は当時の木製ラケットが耐えうる限界までテンションを高くして、トップスピンを打つことにしました。そして、世界ランキングNo.1の座を手に入れました。

トップ・スピンをテニスで打つ概念はここから始まったと言われています。

彼は歴代テニスの父』とまで呼ばれるようになりました。

引退後

彼の引退後は、転落から復活と山あり谷ありの人生でした。

彼は自身の名前を付けた衣料ブランド事業を始めましたが、倒産。そして大きな多重債務者となってしまったのです。

プライベートでも2度の離婚、コカインの摂取など、波乱万丈な第2の人生のスタートとなりました。

スポーツの世界で莫大な金を稼ぎ、その後失敗してしまうスポーツ選手の話はよく聞きます。スポーツの世界ではプロであっても、ビジネスマンとしてプロかは、また別の話。

特に、お金を持っていると全員に知られている状況なので、悪い人たちも近づいてくるのでしょう。

しかし、ボルグはその後、立て直し、テニスの世界に戻ってきました。2007年ウィンブルドン決勝のフェデラーの試合を見守っていました。

自身が持つウィンブルドン5連覇の記録、それに並ぶ記録の瞬間を共に喜びました。

名言

冷静沈着なアイス・マンと呼ばれたボルグですが、心の中は闘志溢れていることが分かる名言をお伝えします。

どんなに負けていても、私は最後まで戦い続けるんだ

ビヨン・ボルグ

僕の最強のポイントは、しつこいところだ。試合では絶対に諦めない。

ビヨン・ボルグ

とにかくしぶとく、冷静なプレイヤー。

彼は、ラファエル・ナダルに次ぐ歴代2位の全仏6回の優勝を達成しました。
有言実行でした。

これで、あのトレーニングから解放される。

ビヨン・ボルグ

ボルグが引退する時に漏らした言葉です。余程のプレッシャーと、血の滲むようなトレーニングを積み重ねていたと言います。

トッププロとして勝ち続ける辛さを物語っていました。

まとめ

いかがでしょうが。これが往年の名選手と呼ばれるビヨン・ボルグの生き様、テニスの歴史です。

パッと見クールで、中身は熱血男、人気な理由です。

まだ映画をご覧になっていない方や、ボルグのプレイを見たことない方は、彼の冷静沈着なプレイを時代を懐かしみながらご覧いただくのも良いと思います!

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